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2005.08.06

TBSのヒロシマ特集番組に思う

TBSで放送されたヒロシマ原爆の特集番組を見る。
以下、感想を箇条書きで。
時には不謹慎と言われそうな少数意見かもしれないが。

・CGによる原爆再現映像は、悲惨というよりも破壊の美しさの領域に達するものだった。
平和を語る時、映像にそこまでのクオリティが必要なのか、それをまず考えた。
でも、私は考えを一歩進め、そのような残酷であるはずの映像の美に引き込まれるという人間の純粋な気持ちが、平和を望むことと、必ずしも対立するものではないとも思っている。

・進行役として、筑紫氏を選んだのは疑問。
「TBSは死んだ」発言以降、相次ぐTBSや関係の深い新聞社の不祥事に、ある時は擁護的であったり、ある時は口をつぐむなどして、視聴者の人望を失いかけているこの人が、今、平和を語るのはマイナスなのではないか。
TBSが平和を真に望むなら、その道に本当に近づきたいと思うなら、そこまで考えるべきではなかったか。

・「この悲惨な事件を繰り返さない」という結論で終わる番組構成は、今まで、ずっと繰り返されてきた。
しかし、現実はどうだ。例えば、アメリカはイラクを攻めた。イラクの民間人の命は奪われ、国内の混乱はまだ終わっていない。それを全面的に支持した小泉自民党政権を選んだのは日本人だ。
私は身近にもいる彼らを支持した人間すら非難できないでいる。

・原爆により命を奪われた人の気持ちを考えて欲しい…そのような考えが、もし世界平和のために支障となるなら、そんな感情論は捨ててしまった方がいいのではないだろうか。
弔い合戦という言葉もある。戦争で命を失った者を悼む気持ちが明日の平和へと繋がる、そんな短絡的な考え方を私は信じない。

・むしろ、アメリカから広島を訪れた原爆開発に携わった老博士が、広島に原爆を投下した行為を謝罪しないと繰り返した意志、ここに、我々は目を向けるべきではないのか。
その彼だって平和を望んでいるのだ。ブッシュに不安を抱いているのだ。
戦争が生んだ悲しみの感情を抑えた上で、平和というものがどうあるべきか、客観的に考えるべきではなかろうか。

・今、日本の数多くの匿名の人々が、主に2ちゃんねるなどで、中国や韓国を中傷する書き込みを繰り返している。これら一つ一つの発言責任を伴わない行為は、この先、年月を重ね、国民同士にさらに深い溝を作り出す危険はないだろうか。
そして、今、民営化されるかもしれない郵便局。その豊富な資金は、まわりまわって、イラクの復興支援の名目で、例えば、ハリバートンなどの軍事産業に流れる恐れはないのだろうか。
歴史を見れば、やはり戦争は繰り返されている。しかし、その繰り返される形は同じではない。
(あとで客観的に見れば似たようなものかもしれないが)
「過去に起きた戦争の悲惨さを忘れるな」、その事ばかりにとらわれず、今起きている新しい乱れ、ほつれなどを見つけていくことが大切ではないのだろうか。

・平和を願うと言っても、それを語る人々の、それぞれの背後には、何かの集団があったりして、単純ではない。
そのことが「平和運動はうさんくさい」という市民の不信感を生んではいないだろうか。
平和問題を語る時、その問題は決して無視できないと思う。
広島を「ヒロシマ」と書くことへの抵抗を抱いている人もいると聞く。
でも、マスメディアはそれらのことにあまりにも目を背けすぎてはいないだろうか。
いろんな集団があり、それらに色々な問題があることは事実だ。
でも、仕方がない。いろいろと諦めつつ、折衝しつつ、そこそこ平和な社会の維持を目指す。
それが、私が現状で考えている「平和についての想い」である。

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