銀色の髪のアギトを観た
tsupo氏を誘い、銀色の髪のアギトを観る。
以下、ネタばれ等、気にせず感想を書きますので、ネタばれがいやな人は読まない方がいいかもしれません。
ひと言で言うと、GONZO制作の映画だという情報と、番宣ムービーを観て、ちょっといやな予感がしてたが、その予感が的中したという感想。
物語的にはまあそこそこまとまった出来とは思う。しかし、それは、ナウシカとかコナンとかラピュタで観たような、既視感のある展開や映像が多い。小綺麗なんだけど、淡白。アクとか、生臭さ、こだわりとかがあまり感じられなくて物足りない。
登場キャラも全体的に魅力薄な感じ。アギトを中心に描いてるはずなのに、どうもアギトという人物が見えてこない。トゥーラの方はわかりやすい。でも物語はトゥーラの視線ではあまり語られてないのでどうも心の響いてこない。
ま、トゥーラの躍動的なアクションシーンとか、鉄道とか、映像は全体的に観てて楽しかった。但し、あの最終兵器は今ひとつだったかな。あのたくさん並ぶの扇風機がどうも機能的じゃないし。
また、世界観設定等も、複雑すぎず、まずまずいい感じなんだけど、その世界を使って何を訴えたいのかが見えてこないなあと思った。
自然を大切にというメッセージ? まさか? そんなありがちなことじゃないでしょ?
そうじゃなくて、危険なテクノロジーによって変質した生態系さえも、我々は受け容れていこうということ?
そういう考え方を伝えようとしてるのなら、面白いかなと思うんだけど、この作品はそんなことを伝えたいのじゃなくて、どうも、見せ場映像のために物語がある……そんな感じが拭えないんだよなあ。
なんか、私がこのところ思っている日本アニメ映画の行き詰まり。その典型的なパターンをこの作品にも感じてしまうのだ。
めまぐるしく変わる世界の中で、我々は今こそ、まだまだ語らなければならないことがたくさんある。
それなのに、今、日本が、映画とアニメという道具を使ってそれをしようとする場合、その作品に要求されるエンターテイメント性が、3DCGなどのテクノロジーが、むしろ、作品のメッセージ性を薄めてしまっているのではないか。
どうして、どの作品も、似たような罠にかかってしまうのか。そんな問題に私はいろいろと思いを巡らせている。
それに対して、今の私は、何か別のアイディアを持っていないかというと、そういうわけではない。いくつかのアイディアはあり、それらは、私自身を納得させることはできる気がする。しかし、一方で、一人でも、誰か他人を納得させられるのだろうかというと、その手応えは全くない。
いや、それ以前に、アイディアを表現する時間が全く不足している。そんな焦燥にも近い、諦めの気持ちが、今の自分を取り巻いている。
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コメント
銀色の髪のアギトは僕もみました。
感想は新明解「師」とおなじです。
表現したい事があって、その為に話がある。
訴えたい事があって物を作るんじゃないですよね。今のアニメ。
殆どの作品が、ある特定のキーワードを繋げて作品を作っているんで結局アニメの世界はダメになっている。
玩具の売れ行きに作品が縛られているって言う事は、特撮では未だにあるようですが、アニメの方は違う気がします。
表現者としてのスキルがかなり足りないんじゃないか?とみていて感じます。
まあ、仮面ライダーは今週末から変わるそうなので期待はしているんですが^^
>いくつかのアイディアはあり、それらは、私自身を納得させることはできる気がする。しかし、一方で、一人でも、誰か他人を納得させられるのだろうかというと、その手応えは全くない。
かの時代の様に左手をブンブン降って「くっっっっっっっっぅ!」と言っている「師」の姿、いまだにハッキリ目に焼き付いております^^
投稿: coilya | 2006.01.27 14:44